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母の死

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12日、お昼過ぎに
主人と兄と3人で、静かに安らかに見取ることが出来ました。

朝9時前に電話が鳴り、看護士長さんが
「血圧もまた下がり、脈も弱々しくなってきていますので、もし、お時間ありましたら最期に立ち合えるよう来られた方がいいかしらと、連絡させて頂きました」と・・・
優しく、穏やかな言い回しに、あまり危機感を感じなかった私は、先ず兄に
「どうする?」ってメールしました。
「会社の帰りに寄るつもりだったけど、じゃあ仕事抜けて行ってみようかな」と
「じゃあ、兄ちゃんに任せてとりあえず、いつも通り店開けて、様子聞いてから行こうかな?」と私
「ワシも行ってみて、様子連絡したろか?」と主人

でも、やっぱり落ち着かないので、臨時休業の張り紙を貼って、母の施設に行きました。
(今思えば、よくもまぁ、呑気に店を開けようとしてたもんです。(;^_^A  )
先に来ていた兄が
「確かに、顔色も良くないし、指先も紫で、確実に死に近付いてる気はする」と言うように、遠からず“その時”は近付いてる感はありましたが、長期戦になるかもしれず順番に昼ごはんを食べてこようかと、先ず兄が車におにぎりを食べに行った10分くらい後、看護士さんが慌てた様子で
「お医者さんと看護士長を呼んできます」と出て行かれたので
「危ないみたい!」と慌てて兄にメール・・・オットは「呼んで来た方が速い」と駆け出しました。

私だけが、母を見ていると、しゃっくりのような息を1度したまま、動かなくなり
「あ~~~ とうとう息を引き取った。最期に私しか立ち合えなかった。」と焦りました。
戻って来た看護士さんに告げると、入って来られたお医者様が
「まだ、脈があります」と言ってるところに、兄とオットが戻り、そのすぐ後に
「12時38分 お亡くなりになりました。」と、お医者様に告げられました。
施設に駆けつけて、丁度2時間後でした。

静かに、穏やかな最期でした。

8年間お世話になった施設で、沢山の職員さんに見送られ母は幸せ者です。
本当に、長い間お世話になりました。

心から感謝の気持ちで、イッパイでした。
もちろん母にも沢山 沢山 ありがとうを言いました。

母にとっては、最後8年間過ごした施設が終の棲家となりました。
私より、兄より、叔母より、叔父よりも、家族らしい家族は施設の職員さん達です。

身内でさえ殆ど手出し出来なかった下の世話
褥瘡の治療や、ケア 体位交換
痰の吸引
入浴介助
栄養管理に食事介助
話し相手
普段の細々としたお世話

いくらお仕事とはいえ、本当に大変であったと思います。
書き連ねているだけで、気が遠くなるほど・・・本当にお世話になりました。

母を施設に預けた後、介護から逃げ出した卑怯者の自分を責め、後ろめたい気持ちの8年間でした。
けれども、あのまま自宅介護を続けていても、共倒れ自爆していたと思いますし、母もこれほど長生き出来なかったと思います。
これで良かった。
母は幸せでした。

今頃、極楽浄土で父や、お友達と再会し私の悪口でも言ってることでしょう。

2010年25日 ひとりごと こめんと0 とらっくばっく0
  

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元 りぼんのオバチャン

  • Author:元 りぼんのオバチャン
  • 手作り品と雑貨の店をやっていましたが、小学校の前という立地なので
    「お菓子置いてくれ!」
    「文房具売ってくれ!」と要望があり…
    こんなになってしまいました。(-"-;A
    こ こんなはずではなかったのに…
    (-"-;A

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